・携帯を使った授業

asahi.comによると、明治大学では一部の講義において携帯電話を取り入れてるんですね。出席、アンケート、質問、意見等々、双方向のやり取りを携帯で行うようにしたそうで。

学生たちの理解度や共感度を確認し、それをフィードバックして講義を進めるという少人数のゼミでしかできなかったことが、携帯を使うことで数百人規模の大教室でもできるようになった。学内では他の教員も関心を示しているという。

「質問や意見が増え、学生との距離が縮まった。理解できない点があっても今の学生は手を挙げないが、メールなら送りやすいらしい」と川島助教授。「先生なのに遅刻するな」とメールで抗議を受けることもある。

かなり効果をあげているようですね。おもしろい試みだと思います。ただやっぱり、肯定意見もあれば否定意見もあるわけで。

教員からは「学生のメールでの発言が増え、反応が早くなった」「授業が終わってもコミュニケーションできる」と肯定的な意見が多い。一方、「学生が目の前にいるのに、どうしてわざわざ携帯電話を通じて連絡する必要があるのか」と疑問の声も出ているという。

俺自身は肯定派です。携帯を使うようになって、より実りのある講義ができるようになったわけですよね。なかなか挙手しにくい大講義室にも関わらず、積極的に学生が参加できるようになったんです。これは非常に大きなプラス要素じゃないでしょうか。
以下、かなり個人的な意見をつらつらと(大げさだったり断定的だったり極論的に思える箇所があるかもしれませんが、それは論旨を明確にするため意図的に書いてる部分です)。
学生の方から自発的に何か学べる場所こそが、大学だと思っています。教えられるのではなく、学ぶ場所。そうすると高校までは、そうできるようになるための基礎訓練、方法論の習得過程とでも言えるでしょうか。基礎が無ければ学びたいことも見つけられません。
言うなれば自分の知的好奇心を満たすために、高いお金を(大半の人は親に)払って(もらって)大学に通うわけですから、講義は積極活用すべきです。でも今までは「日本人らしい奥ゆかしさ」故に、なかなかそういう姿勢に出るのが難しかったと思います。それがどうでしょう。携帯によって垣根が取り払われたら、様相が一変です。

学生の反応は上々だ。「講義が面白い。携帯を机の上に出しているだけで怒る教授もいるなか、画期的だと思う」(1年男子)。「周囲の学生がどう思っているかわかって興味深い。講義は全部出てます」(2年女子)

今はまだ物珍しさも手伝ってる状態だと思いますが、いずれこうした積極参加型ツールが増えてくることでしょう。「学生が目の前にいるのに、どうしてわざわざ携帯電話を通じて連絡する必要があるのか」なんて疑問は的はずれです。逆に「これまで目の前にいたのに、なぜこうした成果を上げられなかったのか」と問いかけたい。些細な手段の違いではなく、それによってもたらされた結果に目を向けましょうよ。学生にとってより良い方法は何なのか。ある意味学生からの学費で雇われているんですから、否定派の先生方も前向きに考えてみてください。
ちなみに今、できることなら学生に戻って学び直したいことがいっぱいあります。それに気づいたときにはもう手遅れ。とか書くと「今からでも遅くない」って言われそうですが、現実問題絶対的に時間が足りないわけで。だからって、学生諸君に対して「勉強しといた方がいいよ」なんてことは言いません。それは自分で思ってこそ価値があるものです。あえて何か言うとするなら(別に言う必要性はありませんけど)、とにかく「時間を大切に」、これですね。自戒を込めて。